◇三国志について語る 【12】 姜維 三国時代の話を読むと最後の方で目に付く名である。 演義にしても正史にしても同じような人物だったようだが、この人の能力には ある意味疑問があると思う。諸葛孔明が亡くなる既に前からそうであったように 蜀には人材が非常になかった。その中においては武勇や智などは抜きんでていた ことは間違いない。 しかし、蜀の後年の内政は実に酷い。宮中を管理できるような人材は費緯が死 んでからは全くいないばかりか宦官が表立ち、更に食料の生産能力など国力の低 下もあった。ところが、彼はそれには全くと言っていいほど感知していない。勿 論、軍事を司っていたからやたら口を挟むものでもないとは思うが、人材の少な い蜀においてそれだけをやっていればいいというものでもないだろう。 それに再度魏への遠征にでて郭淮(魏の武将)ごときに敗走するようでは総大 将としての力量は疑わしいものだ。とはいえ、敗走した兵たちを一人でも多く帰 還させようと自ら殿となり魏軍の追撃を防いだのは評価できると思う。 そもそも孔明が彼に軍事の後事を託した時、何を期待していたのだろう。 おそらく長安を落とすなど、期待は全くしていなかっただろう。 最終更新:2006/2/21